1.
花宮 奏は、おろしたての制服を着て、もうすぐ自分が入学する高校の敷地内を歩いていた。
門の前には、関係者以外立ち入り禁止の札が立てられていたが、自分だってあと数週間でここの生徒になるのだ。少し散歩するくらいなら許されるだろう。
学校の脇にあるレンガ道を辿ると、グラウンドに出る。今は授業で使われていないらしく、何も声が聞こえない。
ただ、桜の花びらの音が――そう、長いレンガ道の両脇に植えられている桜の木の、散った花びらの舞う音が微かに聞こえるだけ。
まだ満開にはほど遠いのに、それを待たずして惜しくも散って行く花びらたち。その悲しい声が聞こえている……気がした。
些か空想を愛しすぎている彼はその想像の声を聞きながら、レンガの道を歩いた。

その先、そのレンガの道の終着地には――誰かが立っていた。

その人が前に立っている桜の木だけ何故か満開で、風が吹くたびに先ほどの声とは比較にならないほどの花びらが散って行く。そしてその花びらは他のものよりも、赤い。
その中心にいるのは、一人の長身の男だった。
銀色の髪が日の光を反射して、キラキラと輝いている。
最初は老人なのかと思ったが、よくみると背筋はピンとしているし、なによりチラと見える横顔は皺ひとつない20台半ば程の男の肌であった。
その男は奏が近くにいるのにも関わらず、じっと目の前の満開の桜の木を見ていた。
男は白衣を着ていた。科学か何かの教師かな、と想像を膨らませながらいつの間にかその男に見入っていた奏に、男がようやく気付いたようで、顔をこちらに向ける。
その時、ようやく男が外国人であることに気付いた。
肌は白いのを通り越して青白く、瞳の色は紫だ。
どこの国の人か考えようとする前に、奏は何かしら異形のものを見たかのような寒気に襲われた。
目の前の男は美しい。それはこの世にあらざるものであるかのように。
身体がすくみ、男を見つめたまま動けないでいると、その白衣の男もまた奏をじっと見つめたまま、少しずつ近づいてきた。

――逃げなきゃ。

本能がそう警告しているのに、身体が言うことを聞いてくれない。
足ががくがくと震え、ただ立っているのが精一杯だった。
なのに視線は外せないまま――。
男は自分まであと数歩というところまで近づいている。
逃げなきゃ。それができなければせめて、この男から目を逸らしたい。
その両方が叶わぬもどかしさに、奏は口の奥から音にならない悲鳴をあげた。
その時。

「お前、どこからきたの?」

外見からは不釣り合いなくらい、流暢で馴れ馴れしい日本語が聞こえた。
奏が驚いて目をまんまるにしていると、それが面白かったらしく、男はその綺麗な顔を歪めて、くっくっと笑った。

「さては――不法侵入だな」

心外な容疑をかけられ、それまでの恐れはどこへやら、奏はムキになって言い返した。

「よく見ろ!俺が着ているのはここの制服だろ!俺は4月からここの生徒になるんだ。だから不法侵入じゃない!」
「うちの生徒になるまでは関係者じゃない。よって用がないのに敷地内に入るのは不法侵入。理解できた?」

小馬鹿にするような物言いに、奏はプルプルと真っ赤になってなおも言い返そうとした。
だが――そう言われれば、そうかも、しれない…。
男に返す言葉がないと悟った奏は、下唇をキュッと結んだ。
ニヤニヤ笑いながら自分を見下す男が許せない。
この男がこの学校の教師?最悪だ!
先ほど新しい制服を着て浮かれていた気分はどこへやら、奏はくるっと男に背を向け、来た道を来た時よりも広い歩幅で戻る。
そして思いついたかのように、また振り向いて男に指をさし、強い口調で言い切った。

「お前の授業なんて絶対うけてやらないからな!」

また馬鹿にされる前に言い逃げしようと、奏は駆け足でレンガの道を駆け戻って行く。
その姿を目で追いかけながら、白衣の男は耐えきれずに笑い出した。

「残念ながら、授業なんて受けなくても君は俺と会わなければいけない運命なんだよ――子猫ちゃん」

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